「生きるをいただく」
4分の我慢!
posted by wajin at 1:44 AM
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車社会を優先させた結果、アスファルトとコンクリートで埋め尽くされた東京近郊の町に少しでも緑をと願っています。高尾の自然観察会で、元来海でみかけるようなヒメフナムシやヨコエビの仲間を観察し感動しました。
当地八王子に住み始め40年近く。日本経済を担う一兵卒として関西の地から関東ローム層の大平野の一隅に住処を求めました。 生まれは横浜・鶴見、母方の岐阜・可児に疎開し、父親の転勤で 富山・新港へ。 祖父の他界で京都・東山・今熊野で小学校高学年 中学・高校・大学と過ごす。両親の終の棲家、大阪・堺・浜寺では 浪人時代を過ごし、そのまま就職先、東京の西多摩郡・羽村町で独身時代のサラリーマンを過ごす。 当時の京都を思い浮かべ、通勤圏で住めそうな町に映った八王子 に新居を構えた次第。お世話になってる我が町八王子、これからもご厄介になります。子供たちは完全な椚田っ子。 八王子で初めて出来た高層マンション「西八王子ハイツ」に新居を構えたのも束の間、手狭になった生まれ来る子供たちにおしだされるように当メジロ台ハイムにヤドカリならぬ宿を代え,移りすみ始めたのは昭和50年でした。 その間、御多分に洩れず、サラリーマンとして技術先進地カリフォルニアへの転勤住い、シリコンアイランドと仰々しく騒がれた九州アイランドへの転勤、第三世界への長期出張、休日出勤の連続、深夜残業とジャパンアズナンバーワンの掛け声と呼応して駈けずりまわって来ました。気づけば何かを見落としてきた今の日本の豊かさです。 移り住んだ頃の鮮やかな記憶に、狭間駅前の公有地・森林と広場では、春にはヒバリが高くさえずリ、ウグイスの声に送られて通勤する毎日だったように記憶しています。 又、今はヨーカドーが立地する場所には蛇の目のグランドがあり、ただ同然のような予約でテニスコートを思う存分使わせていただいた事も懐かしく思い起こします。
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