「生きるをいただく」

4分の我慢!

日々

Saturday, September 02, 2006

今、なぜ教育支援ボランティアが必要なのか

参加日 2006/8/31 14:00~16:00
場所  八王子教育センター
    〒193-0832 八王子市散田町2-37-1
演題  今、なぜ教育支援ボランティアが必要なのか
            佐藤先生
あらまし 今年の春(2006/5/19~6/30)約一ヶ月6回にわたって城山小学校パソコン授業支援グループの一員に属し、小学校2年、3年生のパソコン授業に加わりました。そのときの縁で八王子市「教育支援人材バンク」発足の情報を頂き、研修会に参加しました。

報告  60名程度の参加者で、子供を持つ母親が多かったようです。初めの挨拶に指導主事から話があり、ボランティアの必要性を次の例えで説明していただきました。雅楽で使われる笙(しょう)を紹介する授業があったとすると、写真や音色は紹介できても、本当に奏でられる人が教壇に立っていただければ、教育は深まるという例でした。次に招聘された講師からの話では、主に教育の原点、分かるという道筋の分析と認識の位置付けに関する話でした。例として「わかるけどわからない」に、800兆円を持ち出し、10円、100円、1億円等と小額な値を持ち出し、会場にいる我々初老の受講生に何を想像するか質問し、100円ショップの品物や一億円では庭付き住宅などそれぞれ戸惑った様子で答え、最後に800兆円が分かりますかという問いでした。数列後に座っていた私の手前、1億円辺りで指名が終り、内心バカバカしくヒヤヒヤ物でした。別の視点から「学びの課程」の説明がありました。その前に「わかる」という言葉には①判る 判断できる ②分かる 違いが分かる ③解る 関係が解る という「わかり」方があり、大人からの一方的な「わかった!?」という日常何気なく使う子供への問いかけには注意を要する話にはうなずけました。会場で渡された資料に「三段階連関理論」と三角錐の図に頂点から表現、認識、対象と書かれた概念図を元に説明がありました。要するに教育とは真似る事に始まり、抽象から具象へ往来する課程であり、体験学習が認識を深め、学びを深めるという説明でした。そこにリアリティーを持たせたボランティアの参入に意味があるという考えでした。余談に學という旧漢字での学の説明に、その字に含まれる××は千木(ちぎ【千木・知木・鎮木】社殿の屋上、破風(はふ)の先端が延びて交叉した木。)という文字で、それは社殿(部屋の中)での学習がもとの意味ですと言う説明は始めて聞く知識でした。
感想  結論として、物足らなさを感じました。教育の為だけの教育で、ボランティアの活用にどこまで賛同が得られるか不安を感じました。国(文部省?)が掲げる理念と現場との乖離が偏在するように受取りました。既存の先生方の教育理念には全くのブレが無いのでそれを補完する形で、民活を御願いするというスタンスが、一方的で高慢な感じを覚えました。私だけでしょうか。企業で生活してきた者にとっては、競争の中の修羅場を繰り返し、自分に何が求められているかを毎日探り続けた生活実体験者とは何かが違う、先生方の軸のズレが気になります。



          

0 Comments:

Post a Comment

<< Home